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おかげ様で このホームページを立ち上げてから

1年が経とうとしていて っていうことは36周年から

37周年ということになるので 37年前の話になってしまうのですが・・・

エピソード6


親がここで やきとり屋を始めた当初、

ここで売っていたのは トリ と レバー と シロもつ

の3種類しかなかった。

いくら当時とはいえども、他のスーパーの前でやっている

焼鳥屋なんかは もう少しバラエティだったので

まあ、その程度な感じでやるんだな くらいに

思っていただけだったんですけど

たまにここに親に連れられて来ると、周囲の大人たちに

食べろ食べろと勧められるのが もう大変な迷惑で

大の大人だって苦手な人が多いレバーとシロもつ

小学生だった自分にとって それらを食する事は

拷問に等しかった。

じゃぁっつって 選択の余地もなくトリを食べるにしても

限度がある、もう うんざりなのだ。

ただでさえ たまに親が持って帰ってくる焼き置きの

売れ残りに へきえきとしている自分に

なんなら上から目線で恩着せぎみにカラまれるのだ。

そう、昭和の時代 スーパーの前で焼鳥食って

酒かっくらってるヤカラなんざ平然といたのだ。

仕方なく涙目で たいらげて そそくさと立ち去る。

可愛くない子供に さぞ映っただろうが、親の手前

悪態をつかずに立ち去るまでが精一杯だったんだろう。

だからといって 今 それが誰だったとかは

覚えてもいないし、別に恨んでもいませんので

これを読んで怒ったりしないで下さいね

37年も前の事ですから。

ただ自分の子供には そういう思いをさせたくないなあ

という思いは持ってますけどね。

敬具

エピソード7


しばらくして ツクネがメニューに加わった。

自分的には 味もさることなら、冷めてても

カチカチになっていない事が なによりの救いだった。

そして このツクネ、自分の記憶が確かならば

当時から全く変わっていない。

パッケージすら変わっていない。

そんなはずないだろ と思うなら調べてみてほしい。

変わってるかもしれないけど。。笑 まあいい。

少なくとも20年は変わっていない、

いや、10年にしておこう、それなら自信がある。

まあ もう とにかく それくらい長年にわたって

日本中で愛用されているベストセラー作品なのだろう。

今まで何度となく いろんな業者からの勧めで

他のモノも試してみたんですけど

最近では無駄な抵抗にすら感じてきましたね。

そりゃ今の2倍くらい1本 200円とか300円で

買ってくれるんなら話は別ですよ

やりようは いくらでもあるんですけど

でもね、それじゃきっと 回転寿司の絵皿みたいで

子供が おいしい おいしいー!

って言ってバクバク食べてるその笑顔につれて

パパ・ママの顔色が曇ってくくらいなら

今のままでいい。

おいしい? もっとあるからどんどん食べなっ!

って 笑顔で言ってくれるパパ・ママの方が

絶対 好きに決まってる。

そういう思いを込めて焼いている・・

とまで言ったら言い過ぎかもしれないけど

そんな風に

大切なお金を 大切な時間を 大切な人と

移りゆく季節の中で

育んで。。

エピソード8


ツクネで味をしめた訳ではないだろうが

その後、普通のお団子にも親は手を出して

モロすべりしたりしながらも、車での販売形態から

ほったて小屋的なものでやるようになった頃

カシラ が導入された。これはセンセーショナルだった。

革命と言ってもいい (そんなはずはない m(_ _)m

って言ってみたくなるくらいの衝撃だった。

なんせ親が 何か食べる?と言い切る 食べる?の

る?に食い気味に カシラ と即答するくらいだった。

選択の余地がないのは今までと変わらないが

同じドラフト1位でも 外れ1位と逆指名 以上に違う。

まず第一回選択希望すら無かったのだから。

そして、革命の余波は塩焼という概念の

再ブレイク元年を生んだと言えなくもない。

カシラ といったら塩だろう、という風潮に乗って

塩焼旋風はシロ レバー ツクネにも猛威を振るったが

中でも焼鳥屋の本丸、トリのタレをも

土俵際いっぱいにまで追い込む程の勢いだった。。

父は生前 ずっと会社に勤めていて

やきとり屋を始める前は

給料日によく会社の人と焼鳥屋で呑んでたらしく

お土産にトリ塩もも骨付き一本焼きを よく買ってきて

おいしいから食べろと勧めるのだが

大抵は夕飯の後になるので、旨いとかなんとかより

まず満腹なのだ。せっかく今やっと

夕飯をやっつけたばかりだというのに

返す刀でチキン一本はよっぽど重かった。

その点 焼鳥は コンパクトで 食べやすく切ってあって

味は 同じ鳥のもも肉の塩焼ですからね

トリ塩焼が またたく間に牙城を築いたのは

必然だったとも言える。

エピソード9


自分が幼稚園か小学校にあがった位の頃

お金は10円単位で動いていて、5円1円玉は

通貨としてあまり活用されていなかった時代に

1本35円で鳥皮を売っていた焼鳥屋が

学区域外のスーパーの前でやっていて

たまたま通りかかった時に買ってみたんですよ

別にそんなにハラが減ってた訳でもなく

食べてみたかった訳でもなかったのに

35円ならアイス1つ分くらいなので

軽く狙いをつけてたんでしょうか

5円という端数が物珍しかったのか

よく憶えてませんが、まあ 買ったんです。

普通のトリは50円して、何の面白味も感じなかったのか

やっぱり35円の鳥皮を一つ 頼んではみたものの

どうぞと出されたものは当然 鳥の皮だけが

串に刺されていて、分かってはいたんでしょうけど・・・

自分は子供の頃、お菓子やアイスなら猛然と食べるのに

ご飯と おかずと 味噌汁には全く興味を示さない

どころか 敵ですらあった。

来る日も来る日も やっつけなければならない

食事とは そういうミッションだった。

その おかず系の鳥肉の皮だけを わざわざ

買ってまでしてやっつけるという愚行を

今まさに行おうとしている。

・・・ どうせなら トリにしとけばよかった・・・

・・・ 何も皮だけをやっつけるハメになるとは・・・

・・・ でも50円じゃそもそも買ってないし・・・

焼鳥屋のおっさんも もう少し嬉しそうな顔で

受け取ってほしかっただろうか。

が、しかし、が、しかしだ、意外と食べてみると

アレ?! うまいじゃん!

今までの取り越し苦労はなんだったのか

やっつけるミッションも これなら

買ってでもしたいというものになる。

もう1本買った 笑

焼鳥屋のおっさんも心中おだやかでないはずのシーン。

だろ ぉ!と得意気になっただろうか

いっぺんに頼めよ-!と調子に乗っただろうか。

なんせ人通りの少ない2時か3時かの昼下がり

小じんまりしたスーパーの軒先で

二人きりで流れてく おだやかな時間

経済効果は35円 × 2本 = 70円

まさか このスーパーに

母がパートに来ることになったり

この焼鳥屋のおっさんがスーパークリハラでも出店をやり

その後、辞めた後釜にウチの親がやきとり屋を始めるとは

誰も夢にも思ってなかった頃の

エピソード9 。

エピソード9.5


先日、マツキヨの建物が築20年という記事を見かけて

感慨深いなーとふと思いまして ・・・

自分のバックボーンに 20代の頃 足掛け四年

24才〜27才まで タクシーの運転手をやっていた事があって

その頃

結婚したり、父の余命を宣告されたり、子供を授かったり

そんな時期だったんです。

当時、スーパーリニューアルの勢いに連れられて

焼鳥屋も忙しくなっていて、そんな矢先に父の病 発覚で

大変になっていく事が明白だった事実に向き合い

バイト的な感じで手伝い始めてから20年。

ここ 武蔵村山市大南1丁目 最近じゃ

榎南の交差点 なんて名前のここに通っている。

ご近所のみなさんにはお世話になりっぱなしで、なんの

お返しもできないまま、こんなとこからで恐縮ですが

本当に いつも ありがとうございます。

おかげ様で 長男も18才になり、末っ子の四男も

小学校に上がって、なんとか かんとか ここまで凌いで

やってこれました。

今後も微力ながら、何らかの お役に立てるよう 模索し

頑張っていきますので、これからも宜しくお願いします!

エピソード10


10という キリのいい場面

ここで一区切りなんだと

なんらかの決定や完結をもとめ

自然と気が引き締まってしまい

緊張からか 肩の力が抜けずに

完全に筆が止まってしまった

前章を エピソード9.5

などと はさんでしまった事が

余計にハードルを上げてしまったようで・・・

引き続き

模索してます

し続けてます

2016年 仲春の候

これじゃ近況報告だ

の巻